天海祐希宝塚時代の伝説がヤバい!人気度故に早期退団?(画像あり)

天海祐希の宝塚時代の伝説がヤバい!人気度ゆえに早期退団?画像も調べてみました!現在、人気女優として活躍中の天海祐希さんが宝塚時代に残した伝説がヤバいと?あまりの人気度ゆえ、トップスター就任からわずか2年の早期退団に?結婚しない理由や画像もまとめてみました!

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天海祐希のプロフィール!芸名の由来は?

天海祐希さんは宝塚歌劇団でトップスターとして活躍し、現在女優として活躍されています。天海祐希さんの存在感は抜群!主役級の女優というより、主役しかない女優でしょうね。

芸名:天海祐希(あまみ ゆうき)

本名:中野祐里(なかの ゆり)

生年月日:1967年8月8日

身長:171cm

血液型:O型

兄妹:兄と弟

配偶者:なし

学歴:台東区立西町小学校→台東区立御徒町中学校→杉並学院高等学校(当時:菊華高等学校)

宝塚歌劇団は入団する前に、芸名を決めておかないといけないというルールがあります。本名での入団というのはないのだそうです。

天海祐希さんの芸名の由来も調べてみました。

芸名である天海祐希という名前は、父親と相談して考えたそう。

漢字四文字

・本名の「」を用いて

・未来への希望という意味から「」を用いる

ということから、2つの名前が候補に挙ったそうです。その名前が

・天海祐希(あまみ ゆうき)

・木条祐希(きじょう ゆうき)

どちらもすてきな名前です!

この2つのノミネートから天海祐希に決めた理由は?

最終的には、宝塚音楽学校の副校長からアドバイスを受けたそう。そのアドバイスは、

スケールが大きい方がいい

と。

そして、現在の「天海祐希」に決めたのだそうです。

宝塚を目指したきっかけがかわいい!お遊戯会だった?

天海祐希さんは幼稚園のお遊戯会で「白雪姫」の魔法使いを演じたそうです。

その時、先生から

「声が大きくて、お芝居が上手ね」

と褒められたのだそうです。

それがきっかけで「お芝居をする人になる」と心に決めたのだそうです。

かわいらしい動機ですね!

褒められたのがきっかけで、それが将来の「夢」になったんです。

もちろんまだこの頃は、

どうすれば芸能界には入れるのかなど分からなかった

といいます。

演劇に興味があった天海祐希さんは中学で演劇部に入部しました。

先生が宝塚ファンだったそうで、天海祐希さんに「宝塚に行ったら?」と勧めたことがきっかけとなり、

そこから宝塚歌劇団への入団を志望することになりました。

この先生のひと言が人生を左右したんですね!

先生は、”女優になったら?”とか”芸能人になったら?”ではなく、”宝塚歌劇団”と言ったところも不思議です。

もしかしたら当時の天海祐希さんに、背が高く、華があり、品があり、などタカラジェンヌを彷彿とさせる何かがあったから、先生も宝塚歌劇団を勧めたのかもしれませんね。

天海祐希の宝塚時代の伝説がヤバい!数々のエピソード?

今も伝説として語り継がれているというエピソードがありましたのでご紹介しますね。

宝塚時代の伝説:宝塚音楽学校を首席で入学!首席で卒業?

高校2年を修了した1985年に、宝塚歌劇団への第一歩、宝塚音楽学校に進むべく受験。見事一発で合格し、首席で入学したそうです。

天海祐希さんは、新人達の中でもすでに抜きん出た存在だったそうで、その逸材ぶりをあらわすエピソードがありました。

天海祐希さんの母親は、宝塚の運営側から

よくぞ生んでくださいました。

と、言われたそうです。

プロの目から見てもそう言えるほどですから、どれだけ天海祐希さんのポテンシャルが高かったのかをうかがえますね。

そして1987年には宝塚音楽学校を首席で卒業

卒業まで群を抜いて優秀だったんですね!ですがこれは序章に過ぎないのかもしれません。

宝塚時代の伝説:研1(入団1年目)で新人公演主役!

宝塚歌劇団には、”新人公演”と”本公演”というのがあります。

そして、入団1年目から7年目までのタカラジェンヌたちが”新人”となるそうです。

”新人公演”というのは、本公演と同じ演目を、入団1年目から7年目までの”新人”たちだけで演じる公演のこと。

入団7年目となるタカラジェンヌたちは、新人と呼ばれていても、もうベテランの域に達してくる頃ではないでしょうか?

ですが天海祐希さんは、1987年に入団して10か月で、新人公演の主役に選ばれたそうです。これはとても珍しいことだそう。

宝塚音楽学校の定員は40人。

ですが、学校生活の途中で辞めていく人もいて、宝塚歌劇団に入団する人数は40人を切ることもあります。

1年の入団人数が35人だったと仮定して、さらに7年目までとして

245人

この新人達の数の中で、新人公演の主役の座は1席。

1度も主役や準主役ができないことはザラだそうです。

引用:https://matome.naver.jp/odai/2147648104785464101

入団10か月での主役抜擢という記録は、今までに破られたことがないそうですよ。

主役が天海祐希さんだと、配役が発表されたときに、上級生が「誰?」と騒いだと言われるほどだったとか。

1989年には、当時の2番手を飛び越して、2番手スターとなり、初舞台から7年目となる1993年、正確には入団から6年半でトップスターに就任

通常は、2番手スターがトップスターに就任し、空いた2番手スターの座に次の人が就任する、というもの。

”飛び越して”ということは?

当時の2番手スターは3番手になったということですよね?

なんとも厳しい世界です・・・。

入団7年目まではまだ新人公演学年。新人公演学年でありながらトップスターに就任という異例の大出世を果たしたそうです。

宝塚時代の伝説:お茶会も独特!ファンとガチで?

人気度も高く、実力もある天海祐希さん。

宝塚時代はいくつもの伝説があるようです。宝塚時代の伝説の中でも、個人的に驚いたのがお茶会のエピソードでした。

スゴい人気度でお茶会の参加者の数も相当なものだったようです。

イベント会場は、ファンでごった返していたようですが、イベントの司会や進行の段取りが悪かったよう。

そんな中、天海祐希さんはイベントの間ずっとイライラしていたそうです。

引用:https://matome.naver.jp/odai/2147648104785464101

そしてついに、しびれを切らしてしまったとか(^^;)

自分で進行を仕切り、段取り良くスムーズに進められるように、自分のファンにもそうしてほしかったようなのです。

ファンに媚びなかった、といわれる伝説ですが、それをあらわしているようなエピソードです。

そのエピソードがこちら。

お茶会では写真撮影がありましたが、のろのろ動いているファンたちに対して、

テキパキと動きなさい。

さっさと終わらせればその分たくさんお話しできるんだから。

と!

うわ~!

頭の中では、天海祐希さんの声で再生できるくらい、間違いなく言ってそう!という言葉ですね(笑)

タカラジェンヌって、そういうこと言いそうじゃないですよね?もっとお人形さん的な?

天海祐希さんは一風変わったタカラジェンヌだったかもしれませんが、現在の女優業では、デキるビジネスウーマン役などがぴったりなのは、もともとこういうビジネスウーマン的な考え方を持っているからかもしれませんね。

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宝塚時代の伝説:厳しいルール!それさえも変える?

宝塚には厳しい規則やルールがあるようですね。

納得がいかないと思うことがあったら、そのルールさえも変えてしまう?それが通ってしまうのが天海祐希さんなのでしょうね。

以前の宝塚のルールで、男役は、外を歩くときにピンで髪を留めるという規則がありました。ピンで髪を留めるのは、髪が風などで立ち上がったりするのを防ぐためなので、そうすると、ピンは何十本という数になるとか。

それほどたくさんピンをつけて街を歩くのは、さすがに恥ずかしすぎるのでは?ということで、ピン不要に変更したことがあるそうです。

2017年11月7日に放送されたバラエティ番組「ウチのガヤがすみません!」(日本テレビ系)で、彩羽真矢(あやはね まや)さんが宝塚音楽学校時代に耳にした天海祐希さんの伝説について語っていました。

男役は髪の毛が短いじゃないですか。

髪の毛をピンピンはねないように、徹底的にヘアピンを何十本もつけて固めるっていう規則があったんです。

それが、宝塚音楽学校1年目を予科生っていうんですけど、『予科ピン』っていう規則だったんです。

そのピンを付けなくていいっていう風にしたのが、天海さんっていうふうにお聞きしまして。

これについてMCのお笑いコンビ「フットボールアワー」の後藤輝基さんが

これは実際どうですか?

と天海祐希さんにたずねたところ、

それは私が直接やめたわけじゃなくて、多分うちの同期がみんなで話し合って決めたことじゃないかな。

自分の1期下の子たちを指導するのに、

「どうやって指導していこうか?」

ってことを同期で何日もかけて話し合うんです。

「これはやらなくていいんじゃないか」

「これはちょっと厳しすぎるじゃないか」

とかいうことを、ちょっとずつ変えていって、指導要綱のようなものをみんなで作って。

その時に、あまりにもちょっと外を歩くのが恥ずかしかったから、これは

「ここまでしなくていいんじゃないか」

っていうことを盛り込んだ記憶はあります。

だから私だけではなくて、うちの同期で決めたことです。

と。彩羽真矢さんはこれを聞いて、

そのおかげで私たちは、スプレーで固めるだけでOKになりました

と、感謝していました。

天海祐希さん自身が男役として同じ事を経験していますから、ルールを変更しようと動いたのかもしれませんね。

宝塚時代の伝説:早いトップ就任!その人気度ゆえに退団が早まった?

天海祐希さんは記録的な早さで月組の男役トップスターに就任したことも伝説となっているようです。

引用:https://entert.jyuusya-yoshiko.com/amayu-takadukla/

人気度も保ったまま突き進んでいきますが、宝塚歌劇団に入団して8年、トップスターになって2年が過ぎた1995年12月。

天海祐希さんは当時28歳。

1995年12月に行なわれた公演「ミー・アンド・マイガール」をもって宝塚歌劇団を退団しました。

トップスターになってからは平均5年は活動するそうですが、天海祐希さんの場合は、トップスターとしてわずか2年しか活動せずに退団

人気度は絶頂期で、早すぎる退団と言われていたそうです。

当時はワイドショーやマスコミ各社が退団を報じたり、特集を組んだりしていて、やはり人気度の高さがうかがえます。

引用:https://popsokuhou.com/entry284.html

早すぎる退団に”なぜそんなに早くやめるのだろう?”と疑問が沸いてきますよね。その理由として

入団して6年半でトップスターに就任したことが、先輩たちの反感を買った

トップスターの座を早く降りることで、先輩たちにチャンスを与えた

などと噂されていたそうです。

入団して6年半という新人公演学年のうちに男役トップスターの座についた天海祐希さんのことを、快く思う先輩ばかりではなかったでしょうし、もしかしたら妬まれたりしたかもしれませんね。

ですが、天海祐希さんの目標は女優になることだったようで、”早い段階での退団のほうが良いと考えたのでは?”という話もありました。

宝塚で長く男役トップスターとして君臨して、人気度が低くなってから退団しても、次のステップで活躍できるか、というとそれは難しいですよね。

宝塚での人気度を引っ提げて、女優業へ移行するほうが有利ですよね。

宝塚時代の伝説:トップスターなのに!サヨナラ公演は羽無し?

宝塚の公演ではラストのフィナーレで、トップスターが大きな羽根を背負って大階段を降りてくる、というのが宝塚の象徴ではないでしょうか?

引用:https://trend-geino.com/archives/9111

天海祐希さんはどうも、”仰々しい羽根を背負うのはイヤだ”というのを、劇団側に通させてしまったらしく、

退団公演のフィナーレでは、トップスターなのに大きな羽根を背負わずに大階段を降りたそうです。

宝塚時代の伝説:退団時にはワイングラスをファン全員に贈った?ファンに格差をつけない!

退団時、ファンクラブからの融資でいろいろとやるのだそうです。それで良い車を借りて、トップスターを乗せてパレードしたりするそうですよ。

そのファンクラブですが、通常は、ファンクラブの中には格付けがあるそうです。

長年ファンクラブに在籍している人もいれば、ファンクラブに入りたての人がいたりしますよね。ファンクラブの中には幹部もいるそうで、格差があるのだそうです。

ですが天海祐希さんは、格差に関係なくファンクラブの人たち全員にワイングラスを贈ったのだそうです。

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天海祐希は宝塚を早期退団も女優として大活躍!主な作品は?

宝塚歌劇団での、トップスターとしての活動に2年で終止符を打ち、女優業へと移行した天海祐希さん。

これら数々の主演が女優としての実力と人気を物語っていますよね。

>> BOSS

>> 緊急取調室

>> 離婚弁護士

>> カエルの王女さま

>> GOLD

>> トップキャスター

>> 女王の教室



天海祐希は生涯独身宣言した?結婚しない理由はトラウマと噂!

2016年4月20日に放送されたバラエティ番組「ヨロシクご検討ください」(日本テレビ系)で、天海祐希さんは”結婚しない理由”を明かしたそうです。

MCの坂上忍さんは天海祐希さんのことを

すっげぇ普通の人だった。女優女優してない。

「なんていい人なんだろう」

と思って。

こういうかたをお嫁さんにしたら、絶対幸せな旦那さんになれるなと思ったら、まだ独身なんだよね。

このように話していましたが、天海祐希さんは

「多分(結婚は)しない」

と。坂上忍さんが驚いた様子で「なんで!?」と理由を問うと、

興味がないんですよ。

なんかね、だめなの。お家に人がいるのがイヤなの。

と。

また2016年に行なわれた「第40回モントリオール世界映画祭」の舞台挨拶でも、

「結婚する気は1ミクロンもありません」

と発言していたそうです。

ですが、熱愛が報じられた男性は何人かいたようで、相手は

・吉川晃司(ミュージシャン)

・佐々木蔵之介(俳優)

・真田広之(俳優)

など有名人ばかり。

佐々木蔵之介さんとの熱愛報道についてですが、バラエティ番組「天海祐希・石田ゆり子のスナックあけぼの橋」に佐々木蔵之介さんが出演したことがあります。

以前、天海祐希さんも一緒に、佐々木蔵之介さんの実家である酒蔵に行ったという報道がありました。これは、”結婚前提で、彼氏の実家に挨拶か?”と見られたようです。

番組内で、二人とも熱愛については否定したそうですから、友達として”友達の家に遊びに行った”程度のことだったのでしょうね。

引用:http://garuko.com/archives/22305021.html

真田広之さんについては、お互いの所属事務所が事実を否定したそうです。

引用:http://yorozu-do.com/amami/

2003年に発覚したミュージシャンの吉川晃司さんとの熱愛は、二人とも交際を堂々と認めて公然とデートする仲になっていたそうです。

引用:https://www.hachi8.me/yuki-amami-and-koji-kikkawa/

吉川晃司さんの「まっすぐで純粋なところ」や「曲作りに対する真剣な取り組み」「侍のような人」と、惹かれている理由を宣言していたとか。

天海祐希さんのほうから吉川晃司さんにプロポーズした、という話もありましたが、2006年の夏頃に破局したようです。

理由は、お互いの生活サイクルと価値観の違い、ということだったよう。

その後、2011年に吉川晃司さんが一般女性と結婚したのですが、その時、その女性との間に2歳になる子供がいた、ということが発覚しました。

引用:https://aikru.com/archives/3671

その女性が身ごもったタイミングから、天海祐希さんとの交際中に二股していたのではないか?と囁かれていたようです。

タイミングとしては微妙ではあるものの、天海祐希さんの心境は複雑だったのではないでしょうか?天海祐希さんが結婚しないのは、これらがトラウマとなって「生涯独身」宣言をしているのでは?と見られているようです。

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天海祐希宝塚時代の伝説がヤバい!人気度故に早期退団?(画像あり)まとめ

天海祐希宝塚時代の伝説がヤバい!人気度故に早期退団?(画像あり)についてまとめました。

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